言語の一致と認識の一致は異なります。
同じ赤色を見て、「それは赤色だ」と発言しても、
私の認識している赤を他者も認識しているとは言えません。
言葉でどんなに表現しても、完璧に伝えることはできません。
必ず伝わらない何かが、言葉の裏に存在します。
本人以外が(時には本人すらも)、認識し得ない「何か」
それこそが、その人の人格であると私は思います。
私が文章を書きたい理由は、自分の中の「何か」を認識したいからです。
灰色の自己像に少しずつ色を足すように、
言葉という枠がなくて宙ぶらりんの感情を、文書を書くことで探しています。
私がどんな言い回しを使っても、きちんと伝えることはできない。
言葉を聞いた人が、次はその人の持つ色で言葉に解釈をつける。
私が見た色が、別の人の中で違う色となって広がっていく。
言葉は単なるツールですが、言葉には世界を変える偉大さと重みがあります。
そう思うと、一人で文章を書くことも、
私という人格に色を加え、人生を変えていく力があるのだと思えます。
あなたの見ている色を教えてください。
あなたは何色で自分の観た景色を描いていますか?